直葬とは

近年、高齢化や経済的事情に加え、葬儀業者の不明朗な金額、葬式仏教への疑問、ひとり暮らしなどにより葬儀を簡単に済ませたいという人が増え、直葬といわれる葬儀に注目が集まり、葬送のスタイルの一つとなりつつあります。


仏教界では呉音で読むので「じきそう」、葬儀業者は「ちょくそう」と読まれる直葬とは、通夜・告別式などの一連のセレモニーを行わず、遺体を原則的に火葬のみで済ませてしまう葬儀スタイルのことで、以前は身寄りのない人やどちらかと言えば貧しい人を対象とした福祉サービスでした。

 

さらに言えば、元々警察用語で身元不明や、路上行倒れのご遺体を直接火葬場に送ることから、直送すると言われていたのを、葬儀業社が「直葬」と書き改めました。

 

経済的な理由もあるだろうけれど、結婚式をやらない若い人たちが増えているのと同時に、お葬式をやらない人たちが増えていることは、資本主義の行き詰まり感などと同じで、全てが今までのシステムや仕組みに疑問を持ち始めた人が、増えたのも大きな理由ではないかと考えています。

 

子供の頃、大きな葬式や長い戒名などを単純に偉い人と感じさせられて来たけれど、例えば悪いことをして大金を掴み、立派な戒名を付ける人を小学生レベルでどう考えれば納得できるのだろうか?

単純に形ある物だけに目がいくことは、何の意味もないという事実。

ただ個人的には、自分が良くても考えなければならないのは遺族の立場。
親しかった人の一つの人生が確かにこの世にあったわけですから、少し時間をかけて、けじめをつける意味でも、簡素なお通夜や告別式はあったほうがいいのかなと考える人は、それなりの配慮が必要とは思います。

 

大切な事は普段から、たまには真剣にこんな話が出来る家族なら問題はないと思います。人が死ぬのは当たり前という認識が必要。


ただ大事に利用させて貰ったスーパーマシンの肉体を、粗雑には扱っては申し訳ないという感覚は大切で、そういう気持ちさえあれば非業の死を迎えても、どんな形で終えても仕方がないのではと考えています。

 

多分これは個人差や宗教心で、理解出来ない人には無理な話というのも解ります。
ようはそれぞれが、しっかり考えて自分の納得できる方法をとるべきで、政治でも宗教でも流されて生きるのだけは止めて、一度立ち止まって考えて欲しいと思っています。

もう残り少ない自分の人生だけど、断っておかなければならないのは、自分には特定の宗教はありません。


若い頃、さまざまな疑問で、さまざま人や本に出会って話し合い考えたけれど、本当に納得できるものはなく、結局太陽などの自然のありがたみが一番感じるだけで、人間の作り出した物には心が動かなかったのが事実。

 

思うに、当初は善意で始まった教えが、途中で権力者に歪められてしまった物がほとんどというのが正直な宗教に対する感想。

 

特にお釈迦さんの考えとは全く違う、葬式仏教には疑問を感じてます。

 

自分自身で冷静に考えてみた場合、葬式をしてほしいとは全く思わない。
静かに消えるように死ねる事が理想。
ただ、近親者への配慮をする義務はあると思うけれど、葬式不要論者ということに違いはないと思っています。